古着の視点からみるスケートカルチャー
今日は今でこそ当たり前に目にするスケートボード。
そしてスケートカルチャーがここまで広がってきた過程や独特の文化について、古着の話も踏まえながらしていこうと思います〜
スケートボードは元々サンフランシスコのサーファー達が陸でのオフトレーニング用に作ったのが始まりと言われています。
リーバイスの517にバンズのオーセンティック、ロン毛をなびかせて女の子の前で技を決める。それが当時のスタイルだったようです笑
そのため、今のスケートボードとは少し形が違うんです。
元々はこんな四角に近い形だったんです!
すごく重かったために今では基本のトリックである、オーリーなどは出来なかったようです。
そしてこのスケートボードを一躍有名にしたのがこちら、
サンフランシスコのサーフショップに集まっていたトニーアルバ、ジェイアダムス、ステイシーペラルタを始めとしたスケートチーム、z-boysです。
彼らハードコアを愛し、人の家のプールに勝手に侵入してはスケートを楽しんでいたようです。
そしてそのトニーアルバが作ったのがご存知のバンズERAなんです!
この先になると、ディッキーズにバンズのオールドスクールのスタイルが浸透していきます。
80年代から90年代になるとニューヨークやヨーロッパにもスケートカルチャーが広まっていきます。
カットオフのワークパンツにバンズ、動きやすさや、当時のヒップホップの影響もありオーバーサイズの装いが浸透していきます。
ハードコアやパンクもスケートカルチャーの中では欠かせない音楽ではありますが、zooyork やhufなどのスケートムービーでヒップホップが使われるようになります。
そして90年代になるとラリークラーク作品「KIDS」の世界に入ります。笑
実はこの黒人の少年はスケートチーム「ZOOYORK」のフロントマンを務めるスケーターなんです。
この年代になると、育ちの恵まれない少年達はこぞって音楽とスケートに明け暮れ、酒とドラックに溺れていきます笑
この時代の反発からよりスタイリッシュなスケートブランドが多く出てくるのですが、今回はここまでにしたいと思います。